自循論

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「自分とは何だろう?」「世界とは何だろう?」…この、素朴な難問に、「自」というたった一つの概念装置を武器に切り込んでいきます。

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    自循論

    「1たす1は2」は現実世界では成り立たない。りんごを横に並べても「2」というりんごが発生するわけではない。「たす」や「2」は、あくまで精神世界の内部でのみ成り立つ現象だ。その根本原因は、精神世界は「私が私であるという公理」によって支えられ、記号化・言語化が予め許されているからだ。

    • 03月18日
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    哲学の究極の問い「なぜ何も無い代わりに何かがあるのか」「なぜ私は生まれもしない代わりに現に生きているのか」に答えが無い理由はシンプルで、「純粋な一回性を取り出せたら、それは理解や認識の対象になれない」からだ。「なぜ」と問う対象が、予め消失しているのである。

    • 03月02日
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    「世界や私が無い代わりにある」のは常に先行事実であって、理由付けを許さない。必ず、付けた理由の背後に回って理由付けする側になるのだから。哲学の究極の問い「なぜ何も無いのでなく何かがあるのか」は、「なぜ」という形式が必然的に持つ盲点・自己矛盾を定式化したものだとも言える。

    • 01月02日
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    「一つの客観世界の内部に、私もあなたもいる」のか。「一つの主観世界の内部に、宇宙もあなたもある」のか。誰でも後者から出発して学習により前者の俯瞰図を得る。だから実は、「あなた」も「物理宇宙」も、「私」という超巨大で超複雑な現象の内部に生じる派生的副産物に過ぎないのだ。

    • 12月22日
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    世界成立の神秘は、人間の目には見えない。認識という形式にはカスリもしないように、厳重に秘匿されている。それは「神が恥ずかしがっているから」ではなかろうか?

    • 11月30日
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    私の哲学は、「客観時空と主観世界は【説明の輪】を成す」…つまり森羅万象に「イチバン偉い最根源原理なんて無い」ってことで終わっている。でも、その「輪-自体」が何故あるのかと言えば、現実に私がここに在る、という以上の理由がなく、実はその唐突性に、巨大なインチキがあるとも感じる。

    • 11月24日
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    脱サラして会社を拵えます。ちなみに私は学生のころゲームプログラマーで、いまでもレトロゲームが大好きです。

    • 11月24日
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    「なんで世界はハナっから存在しない代わりに現に存在しているんだ、不思議だ〜!」と本気で思うが、この「不思議」という感覚を掘り下げると、実は「不思議じゃないこと」に支えられていることに気付く。しかし森羅万象は不思議なので、「不思議じゃない(当たり前の)こと」なんて、本来無いはずだ。

    • 11月15日
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    昨日の私にとって、今日・この今の「この私」が現実にこうやって世界を感じているという事態は、想像すらできなかったことだ。いや、「想像」という方法では辿り着きようが無いのだ。勿論、昨日の私の現実体験も永遠に失われてしまっている。現実体験はそれぞれ、その都度使い捨てられているのだ。

    • 11月14日
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    「この一瞬は、造り物ではなく、ホンモノの現実だ」と言い立てる権利があるのは、この瞬間それ自身のみである。たとえ5秒後の私自身ですら、そんな権利は無い。どの瞬間の私も、死の瞬間の私とは、(若干の内容の連続性を除き)何の関係も無い。

    • 11月13日
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