長谷部誠

1093

ファンの為のページです!公式ではありません!

mixiにログインして情報をもっと楽しもう!

  • ログインする
  • 新規登録(無料)

基本情報

このページのURL http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=134074

このmixiページにアクセスするためのURLです。このmixiページを紹介したり、ブックマークする際にはこのURLをご使用ください。

ホームページ http://ameblo.jp/makoto-hasebe17/
詳細 長谷部 誠 公式ブログ


http://ameblo.jp/makoto-hasebe17/



ヴォルフスブルクHP


http://www.vfl-wolfsburg.de/


サムライブルーHP

http://samuraiblue.jp/

来歴 [編集] 生い立ち [編集]静岡県藤枝市出身。3歳のときにサッカーをはじめ、青島東小のスポーツ少年団、青島中サッカー部を経て静岡県の名門藤枝東高校に入学した。同期には岡田佑樹、金澤大将などがいる。2年の終わり頃からレギュラーとしてプレーした[1]。U-18日本代表候補への選出、全国総体準優勝などの実績はあるものの高校サッカー選手権出場は果たせなかった[2][3]。当時のコーチや対戦相手の監督からは能力は高いもののフィジカルが弱すぎると評価されていた。静岡のプロクラブへの入団を希望していたがオファーが届かず、県選抜でのプレーを見た浦和レッズのスカウトから誘いを受け[3]、この他には名古屋からも興味を示されていた[4]。

浦和レッズ [編集]高校卒業と同時に、浦和レッズに入団した。1年目はほとんど出場機会がなかったが、2年目の2003年にトップ下やボランチの選手として年間通して出場機会を得た。そして、3年目の2004年はシーズン当初こそ山瀬功治に代わってトップ下で出場していたが、シーズン中盤以降は鈴木啓太とダブルボランチを組み、浦和の2ndステージ優勝などに大きく貢献した。この年はナビスコカップ・ニューヒーロー賞、Jリーグ・ベストイレブンに選出された。

2005年から2007年の間も鈴木啓太と中盤の底でコンビを組み、Jリーグ優勝やAFCチャンピオンズリーグ優勝をはじめとした浦和のタイトル獲得にレギュラーとして貢献した。2005年末に初めて日本代表に選出されたが、2006年のワールドカップの代表メンバーからは漏れてしまう。その後、イビチャ・オシムが監督を務めると日本代表に復帰したが、2007年はシーズン序盤に負傷したこともあって代表選の出場機会は無く、同年12月に代表監督に再任した岡田武史に選ばれるまでは日本代表から遠ざかっていた。

ヴォルフスブルク [編集]
ヴォルフスブルクでの長谷部(2008年)2008年1月、ドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクに移籍。2月、冬季中断明け初戦のビーレフェルト戦に後半開始から出場し海外リーグでのデビューを移籍後早々に果たした。同年4月27日のアウェーでのレヴァークーゼン戦でブンデスリーガ初ゴールを記録。

移籍2シーズン目となる2008-09シーズンは昨シーズンまでのボランチに加え、右サイドハーフ、右サイドバックでもプレー。2009年3月に行われたW杯・南アフリカ大会アジア地区最終予選バーレーン戦の試合中の故障により、優勝争いも佳境に迫ったリーグ終盤戦に一時離脱するアクシデントがあったものの、クラブのドイツ国内主要大会初優勝に貢献した。このシーズン途中に移籍してきた大久保嘉人とともに、奥寺康彦以来31年ぶりにブンデスリーガ優勝を経験した日本人となった。

2009年9月16日、UEFAチャンピオンズリーグの開幕戦であるCSKAモスクワ戦に途中出場し、日本人選手として5人目のUEFAチャンピオンズリーグ出場を果たした。また、レギュラーシーズンではシャルケ04戦でエディン・ジェコの決勝ゴールをアシスト、ハノーファー96戦で今季初ゴールを決めるなどの活躍を見せる。2009年9月30日、CLグループリーグ第2節、アウェーでのマンチェスター・ユナイテッド戦ではスタメン出場し、後半11分に絶妙なクロスでジェコの先制ゴールをアシストした。

2011年9月17日、第6節でのホッフェンハイム戦では右サイドバックとして出場するも、1点ビハインドでの後半35分にGKのマルヴィン・ヒッツがレッドカードで退場。チームは既に交代枠を使い切っていたため、長谷部が急遽GKを務めることになった。馴れないポジションでありながら、正確なロングフィードを出したり、クロスボールにも飛び出してキャッチするなど奮闘するも、後半40分に失点し、チームは1-3で敗戦した。尚、日本人が欧州5大リーグでGKを務めるのはこれが初めてであった。

日本代表 [編集]2006年1月の代表合宿、2月のアメリカ遠征のサッカー日本代表に初選出された。アメリカ戦では後半途中から出場した。2月22日のアジアカップ・予選のインド戦に先発し、後半13分に代表初得点を決めたかと思われたが、審判団の協議の結果、長谷部のシュートが巻に当たって入っており巻誠一郎のゴールとなった。FIFAワールドカップ・ドイツ大会(以下W杯)のメンバーには選ばれなかった。イビチャ・オシムが日本代表監督に就任すると、再び代表に選出されたが、2007年以降は代表から漏れることも多くなり、出場もなかった。

同年5月、岡田武史監督の就任後初めて日本代表に選出。キリンチャレンジカップ第1戦(対コートジボワール)に出場し、前半、右サイドを駆け上がっての絶妙なセンタリングで、同じく代表に復帰した玉田圭司のゴールをアシスト。1対0の勝利に大きく貢献した。以後の代表戦において、右ボランチのポジションに定着している。

2009年6月6日、W杯出場権獲得に王手をかけた、アジア地区最終予選アウェーでのウズベキスタン戦にスタメン出場。この試合は1対0で勝利し、4大会連続4度目のW杯出場を決めた。

2009年11月18日、AFCアジアカップ最終予選の香港戦で代表初ゴールを挙げた。

南アフリカにおいて開催されたW杯の日本代表メンバーにも選出され、ゲームキャプテンとしてグループリーグ三試合と決勝トーナメント一回戦に先発出場した。

2010年10月8日、国際親善試合のアルゼンチン戦では、決勝点の起点となる強烈なミドルシュートを放つなど活躍し、日本代表の歴史的勝利に貢献した[5]。

プレースタイル [編集]終盤まで衰えない豊富な運動量を備えたセンターハーフ。献身的なプレスでボール奪取に貢献し、裏をつく長距離ドリブルと絶妙なスルーパスで決定機を演出する。サイドでの起用に対しても質の高いプレーで応えるなど、高い戦術理解力を持っている。浦和レッズ時代は繊細なボールタッチを持ち味とする司令塔として活躍したが、ヴォルフスブルク移籍を機に好守両面でハードワークに徹する万能型プレーヤーへと進化した。持ち前のテクニックに加え、欧州仕様のフィジカルと対人プレーの強さを体得し、守備でも危険察知力、カバーリングが成長した[6][7][8]。

エピソード [編集]ゴールを決めたときに天に向かって人差し指を突き上げるゴールパフォーマンスをする。これはプロ1年目のときに亡くなった祖父を想ってのことである。祖父は長谷部が大学進学かプロ入りかを迷っていたとき、周囲がプロ入りに反対する中でも「思い切ってやってみろ」と背中を押してくれたという[9]。
好きなアーティストはMr.Childrenで、ブログにて好きな曲ベスト10を発表している[10]。長谷部を特集した2011年7月10日放送の「ソロモン流」の中で、桜井和寿との対談が実現している。
FIFAワールドカップ・南アフリカ大会ではゲームキャプテンを務め活躍したことで、エムデータ社によるテレビ露出量の調査で日本代表選手および代表監督の中で第5位のテレビ露出量となるなど[11]、知名度を上げた。
2011年3月に幻冬舎から出版した自己啓発書『心を整える。』から得た印税は全額を同月に発生した東日本大震災の支援のためにユニセフに寄付することを決めた[12]。本は9月までに100万部を売り上げ、スポーツ選手の著書としては初のミリオンセラーとなった。[13]
ワールドカップ南アフリカ大会の活躍により、藤枝市スポーツ栄誉顕彰を授与される[14]。
小学生の頃、日本平スタジアム(現アウトソーシングスタジアム日本平)に、清水エスパルスの試合をよく観戦しに行っており、エスパルスサポーターが集まるゴール裏でエスパルスの応援をしていた。
所属クラブ [編集]ユース経歴
ランカーFC
青島東サッカースポーツ少年団
1996年 - 1998年 藤枝市立青島中学校
1999年 - 2001年 藤枝東高校
プロ経歴
2002年 - 2007年 浦和レッドダイヤモンズ
2008年 - 現在 VfLヴォルフスブルク
個人成績 [編集]国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2002 浦和 32 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2003 17 28 2 9 1 1 1 38 4
2004 27 5 8 2 4 2 39 9
2005 31 2 9 2 5 2 45 6
2006 32 2 6 0 4 1 42 3
2007 31 1 2 0 1 0 34 1
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2007-08 ヴォルフスブルク 13 ブンデス1部 16 1 - 1 0 17 1
2008-09 25 0 - 2 0 27 0
2009-10 24 1 - 1 0 25 1
2010-11 23 0 - 1 0 24 0
2011-12 2 1 -
通算 日本 J1 149 12 35 5 15 6 199 23
ドイツ ブンデス1部 88 2 - 5 0 93 2
総通算 237 14 35 5 20 6 292 25

その他の公式戦

2004年
Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
2006年
スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2007 浦和 17 11 2 3 0
UEFA UEFA EL UEFA CL
2008-09 ヴォルフスブルク 13 6 1 -
2009-10 2 0 6 0
通算 AFC 11 2 3 0
通算 UEFA 8 1 6 0

その他の国際公式戦

2007年
A3チャンピオンズカップ 3試合1得点
経歴 [編集]公式戦初出場:2002年5月12日 ナビスコカップ vs名古屋グランパス (駒場スタジアム)
公式戦初得点:2003年7月2日 ナビスコカップ vs東京ヴェルディ1969 (味の素スタジアム)
A代表初出場:2006年2月11日 親善試合 vsアメリカ (アメリカ・サンフランシスコ/SBCパーク)
A代表初得点:2009年11月18日 AFCアジアカップ2011 (予選) vs香港 (香港/香港スタジアム)
タイトル [編集] クラブ [編集] 浦和レッズ
AFCチャンピオンズリーグ : 2007年
Jリーグ : 2006年
天皇杯 : 2005年、2006年
ナビスコカップ : 2003年
XEROX SUPER CUP : 2006年
VfLヴォルフスブルク
ブンデスリーガ : 2008-09
代表 [編集] 日本代表
AFCアジアカップ : 2011
個人 [編集]ナビスコカップ・ニューヒーロー賞 (2004年)
Jリーグ・ベストイレブン 1回 (2004年)
Jリーグアウォーズ・優秀選手賞 4回 (2004年 - 2007年)
代表歴 [編集]
日本代表でプレーする長谷部
(2009年9月9日、ガーナ戦) 出場大会 [編集]2002年 ノキア・デビテル杯 (U-19日本代表)
2003年 トゥーロン国際大会 (U-20日本代表)
2010年 2010 FIFAワールドカップ (日本代表)
2011年 AFCアジアカップ2011 (日本代表)
試合数 [編集]国際Aマッチ 48試合 2得点 (2006年 -)



日本代表 国際Aマッチ
年 出場 得点
2006 6 0
2007 0 0
2008 10 0
2009 11 1
2010 10 0
2011 11 1
通算 48 2
ゴール [編集]# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2009年11月18日 香港 香港 ○4-0 AFCアジアカップ2011最終予選
2. 2011年1月13日 カタール シリア ○2-1 AFCアジアカップ2011
書籍 [編集]2011年3月 『心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣』 (幻冬舎) ISBN 978-4344019621